米金色(こがねいろ)
出来秋(できあき)ともいわれますが、涼しくなって、今年も稲の収穫がすすんでいます。天気に追われるように次から次と忙しい農作業です。それでも、お米の詰まった袋が積み上がっていくのは素直にうれしい。インターネットで、とあるホームページに、黄金色でなく「米金色」と書いてコガネイロと読ませているのを見つけて、なるほどと納得しました。
わが家では、もう何年も前から、いっさい農薬も化学肥料も使わないで稲作をしています。病虫害はほとんどありませんが、雑草対策がうまくいかないと、とたんに収量が落ちてしまいます。それだけに穫れたてのお米を手にとると、愛おしく神々しさすら感じます。
おしいただくように研いで炊くと、まさに銀シャリ!料理に腕をふるう方には怒られそうですが、うちの野菜の浅漬けがあれば、ほかに何もいらない。人間、おいしいものを食べて、機嫌が悪くなるはずはありません。こういうご飯を毎日しっかり食べれば、人はもっと穏やかに暮らせるのにと思うのは飛躍でしょうか。
まちなか育ちの私ですが、子どものころ、母に「米という漢字は、八十八と書く。お百姓さんが88もの手間をかけて作っているのだよ」と、しっかりとすり込まれました。
おいしくて完全食に近い穀物を、効率よく作ることができる田んぼを、祖先たちは営々と耕し、広げてきました。それを今、なぜ作らせず、荒らしておかなければならないのでしょうか。お腹いっぱい食べられない子が世界には何億人もいるというのに。
いくら工業製品輸出の見返りという理屈を言ってみても、カネで他国の人の食料を奪い、さらに今度は自国民の健康を害する事態を招いてまで輸入することにどんな大義があるというのでしょう。怒りを通り越して悲しくすらあります。
米は人の命をつなぐ食材であり、水田は私たち日本人の心の原風景です。将来にわたって、その誇りを捨てずに作りつづけられる社会、政治にしなければと思うのです。
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