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No.437
1999/05/20
(メール版 +54)

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●非常事態●
 前号でちょっと書いた事務局に発生したという非常事態ですが、じつは毎週 の野菜の段取りをしている鈴木康子さんが北茨城市の市議補選(5月30日告示) に立候補することになったのです。選挙中に野菜だよりを書くことはとてもで きないので、少し書きためておける話題で失礼しようかと考えています。とい いながら、きょうは結局、当日に書いてるのですが、とにかくその第一回です。


●銀シャリ…こだわる理由●

 

 もしかすると30歳代以下の人は言葉そのものを知らないかもしれませんね。「銀シャリ」。念のため書くと、麦粒などを混ぜない白米だけで炊いたご飯のことです。
 子どものころ、毎日の食事は麦飯でした(すずき)。当時、まだ家にはテレビはなく、近所で見せてもらっていたテレビの時代劇か何かで出てきた、銀シャ リという言葉。あこがれをもって聞いていました。
 そして、テレビを購入したのとどちらが先だったかは定かでありませんが、ようやく麦を混ぜないご飯が食べられるようになったのは小学校5年生のころ です。
 茶色のスジが入っていない、きらきら光る白米だけのご飯! 噂に聞いていた銀シャリって、ほんとうに見た目も言葉どおり銀シャリなんだなぁとしみじみ。30数年すぎた今でも覚えている感激です。
 その裏返しでしょうか、麦飯や玄米食などに関心が湧きません。ときどき観光地などで、麦トロなんてメニューがありますが、「麦飯をありがたがる気がしれねぇ」などとウソぶいています。まぁ、得にもならなければ、意味もないこだわりです。
 と、長い前置き。これからが本題。
 かつて麦飯を食べていたのは健康のためなんかではありませんでした。その本当の理由を母親から教わったのは、ほんの数年前のことです。なんと、食べる米が足りないから麦を混ぜていたというのです。
 驚きました。だって、うちは稲作農家。それこそ米は売るほど作っていたはずです。なのに、自分で食べる米に事欠いていたというのです。知りませんでした。
 その背景にあったのが「供出」です。40歳代の私たちは使わない言葉ですが、親たちの世代の農家では、米を出荷することを「供出」と表現する人が少なくありません。
 つまり主食である米は、自分で収穫して自由に販売する「出荷」ではなく、決められた価格で強制的に「供出」させられるものだったのです。そして、家族みんなが銀シャリを食べられるだけの量の米を自分の手もとに残すことすら許されなかったというわけです。
 ちなみに、稲作農家である我が家で、ようやく銀シャリを食べられるようになった、そのわずか数年後、こんどは逆に「減反」の強制が開始されることになります。
(つづくかなぁ)

●アイガモのヒナ●
特徴あるアイガモのクチバシと水カキ  ふつうの鶏のヒヨコを見慣れた目で、はじめてアイガモのヒナを見たとき、 小さいくせに一人前のかっこうでついてる足の水カキとクチバシが、なんとも 印象的でした。




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