|
野菜だより 1999/03/18 (メール版 +45) |
![]() |
「農業に見切り」の記事からはじまった討論も第4回になります。
先週の益子さんの意見を受けて、3人の方がファクスやインターネットで意見を寄せてくれました。
討 論 ◆ 食料と農業と暮らし ◆
● 深く共感しました (投稿者:池田さん)
初めまして。「Vegetable letter Weekly」購読者です。
No.427掲載の、益子さんのお話に、深く共感しました。ここまで理にかなったお話を初めて聞きました。綺麗事に逃げず、前を見つめ、不要を削ぎ落とし、具体的に何をしなければならないかを正確に見極めておられる方のお言葉だと思います。全ての国民に聞かせたい!!
そうですよ。不景気不景気と言ったって、結局は日本人、どんなに結構な暮らしをしているか。何もかも揃いすぎて、節度が無くなって、我慢することを完全に忘れて、不平不満ばかり言うようになっているんじゃないですか。国ぐるみで国民を甘やかしすぎですよ。
むしろ消費者の側をいっぺん引き締めたらよいと思います。農薬もイヤ、遺伝子組替えもイヤ、そんでもって高いのもイヤ、じゃあ自分で勝手に作れよ!! どんだけ大変やと思てんねん!! と言いたい(私は消費者ですが)。
豊かな国の豊かな人々が子供の暴走や倫理問題、為替相場に心を痛めている間に、まさしく日に3万5千人の人々が飢えて命を無くしていっている。 世界人口の内訳…先進国民1/4:途上国民3/4。 各々に配分される穀物の割合…先進国1/2:途上国1/2。
先進国ではその穀物の70%を、家畜の飼料に投じている。飢餓国ではわずかのトウモロコシを食糧の全てとして得るのがやっとでしょうね。肉や野菜を常食するなんてとんでもないでしょう。美味しいということすら知ることを許されないでしょう!
そうして独占して得た30品目満点の食糧のうち、日本だけで年間1000万トンを、残飯として捨てています。この数字に思い当たることはございませんでしょうか。我が国の年間の米の生産量とぴったり同じはずです。
益子さんのおっしゃる通り、食物に対するありがたみが、完全に忘れ去られていますよね。もっといいものを、いいものを、と際限無く手を伸ばし、気に入らないものを蹴り捨てているんです、私たちは。お腹を満たすこともままならない人達がいっぱいいるのに。なんて欲張り、わがまま、自分勝手!!!
農薬やダイオキシンだのによる健康被害、それは天誅と思うべきでしょう。もっととんでもないことを、延々自然に対してやってきたんですから(今もやってる)、我々は。大騒ぎしてる方が厚かましいと思いませんか? 全部自分達が楽したいがために後先考えずにやってきたことのツケです。科学者や政治家だけに責任があるのではありません。それらを要求し、歓喜して受け入れたのは消費者です。勿論危険をなくすのが最善ですが、天地がひっくり返ったように大騒ぎするのは自覚が足りないと思います。裕福な証拠ですよ。ほんと。
生きていくことの本来の大変さを忘れてしまったことによる弊害は社会のあらゆる面、ことに子供の性質などに顕著に表れていると感じます。これを読んでいらっしゃる多くの方々が幼かった頃、毎日家の手伝いをし、勉強するよりも働くことが優先で、学校に行かせてもらえるだけでありがたいことだったのではないでしょうか(私の親に関してなので、全ての方がそうなのかどうかわかりませんが)。
家族ぐるみで生きてゆくことに精一杯で、悠長に厭世感に浸っている余裕などなかったことでしょう。子供が知ったような顔して世を儚んだり人間関係などに悩んだりしてようものなら、親はカウンセラーに相談するどころか我が子をひっぱたいて「ばかなこと言ってないで手伝いな!!」と言ったのではないでしょうか。それでよかったはずですよ。苦労を知らなすぎるんです、今の人達は。私もその一人ですが。
身の回りのこと全部してもらって、何もかも与えられて、自分がどんな風にして生かされているかまるで知らないで、いっちょ前に周囲にけちをつけることに頭を使う暇だけ有り余っていて。誰も怒らないし。だからおかしな事件や校内暴力が起こるんだと思いませんか。食物の大切さなど薄れていって当然ですね。
だから私は、今こそ農業体験を義務教育の一環にでも取り入れたらよいと思います、レジャーではなく。普段簡単に買ってきて食べている食物が、それまでにどれだけの時間と人手をかけて作り出されているか、作るというのが、食べていくというのが、本当はどんなに大変なことなのかを全ての国民にはっきりと自覚させるべきだと思います。
そうしたら、メディア言うところの『社会の歪み』による怪事件は減り、今よりモノや食べ物を大切にするんじゃないでしょうか。日本の農業に対する関心も絶対高まりますよ。テレビや新聞から飢餓に苦しむ国や環境破壊の現状を目にする機会はいくらでもありますが、やはり自分でリアルに体験しないとしっかりした意識として根付いていないと思うんです。農業は人間の命をつなぐメインラインなのだから、もっと重要視されて当然。
大事なことを肝に銘じた上で、自分の人生を楽しみましょう。そりゃあ、いつかは終わる己の人生なのだから、楽しまないと損。色々やった方が自分の人生豊かになる。お金がないと何も出来ない世の中ならば、頑張って稼げばよい。お金が無いからやりたいことができない、というのはつまらないじゃないですか。
「当たり前になる」… 一番恐ろしいのはこのことだと思います。
● ダメになる派? (投稿者:モモタロさん)
先週の野菜だよりに思うことです。 日本の農業は行くところまで行かなければ気がつかないんじゃないでしょうか。そういう意味ではダメになる派と言えるでしょう。
政治と農業は別だとは思えません。両方とも日本国の欠かせない一部なのですから。やはり政治がしっかりしてくれなければならないですし、農民だけの力では如何ともしがたい現実があります。
おいらはダメになると思いながら、それでも飛び込まずにいられず、百姓になったパターンです。
● 赤貧百姓から (投稿者:阿部さん)
益子さんの論。なかなかすばらしくウンウンと頷きながら読ませていただきました。
私は、3年前、農業に展望を持ち、家族4人引き連れ、脱サラ就農しました。すべて借地・借家で、農機具も一切ない状態でのスタートでした。
「人間の命の糧を作る職業なのに喰えない訳はない。絶対に喰ってみせる」と、親族一同の批判を向こうに回し、言い放ったものです。
コストをかけずに、消費者の方々に喜んでもらえる安全・おいしいものを作り、農的生活を満喫する…そう考えて3年間走り回ったのですが、貧乏生活は変わりなく、いよいよ赤貧生活になりつつあります。金がないから子供たちは金がかかるクラブ活動やスポーツはやらない、子供会の旅行も遠慮する等、所々影響が見え始めました。将来の進路でも、意に反してあきらめかねない。
夫婦2人なら風雨しのげる家と飢えぬ程度の食事で暮らせるとは思います。自らの生活を考えると、お金儲けの農業と食べていけるだけの農業の中間を目指した農業にしていきたいと思います。極論言えば、サラリーマン感覚で就農できるようにならないかなぁ、と。
中世〜近代まで職業選択の余地のなかった時代の農民とは違い、現代は自由に選べる結果として、就農者数はヤクザになる人より少なくなってしまいました。これで日本人の命の糧を生産し続けるにはあまりにも心もとないのではないでしょうか。自業自得では済まされません。金に物言わせての食料輸入にも限度があります。後はエサを求めての争いが起きないよう祈るだけ…。
そんな事まで考えると、子供を育て巣立てさせられる職業としての農業でありたいと願います。天候で実りが左右される農業に、国として有る程度の保護的政策(補助、価格保障等含めて)が必要であろうと思うし、農民としても声を上げていくべきではないでしょうか。
過保護を求めているのではありません。食料生産が国策の礎となってほしいのです。そして、もっと気楽に農業に入れるようにしたいものです。農業が好きでたまらない人が農業に就けばいい。そうできるように制度が整ってほしい。自活できるようにするため、国民の命の糧を守るため、農民連は運動していると思うのです。
黙って農的生活に浸っていられれば幸せです。しかし、この国の運転手はあまりにも馬鹿で、どこに乗せられて行って、どこに降ろされるかわかったものではありません。益子さんの言うことに大賛成ですが、いまは農民が声を上げて騒がないといけない時期だと思います。その上で、農業は絶対つぶれないと思うし、アメリカなんぞに尻尾ふらずに噛みついてやりたいと思うのです。
◆茨城農民連の仲間と視察に行ってきました◆
← 宮城県仙台市の南部、西多賀商店街の一角にある直売場。地元の商店会と農民連とが一緒に運営委員会をつくって、空き店舗対策に取り組んでいます。
![]()
→ 秋田県十文字町の西成町長。うしろの壁に掲げられている書を読むと、
「眠る大地に光る陽 春 種をまき 野菜を作る 人間の生命を守るため俺は百姓だ」
とあります。町内の農家の手になるものを町長が頼んで掲示したそうです。
「みんなのセンター」と付記されている役場庁舎の看板にも感激しました。
前号 |
野菜だよりメニュー |
次号 |