孫と旅、本との出会い
原田芳子(1999年4月)
うちの婿どのは、本州生まれだが大の北海道ファンなのである。昨夏も農繁期をやりくりして小さい車でやって来た。
例年なら多忙だった私は見送るだけだったが、夫を亡くしてまだ三ヶ月、空き巣症候群の最中だった私に「お母さんもいっしょに」と誘われ、孫三人の座席に太いおばあちゃんが割り込むことになった。日帰りの旅は紋別に決まった。
「紋別で蟹を食べましょう」にひかれた事もあったが、交通中心地に住みながら、縦横に走る道路も殆ど知らないのでわくわくした。紋別ではオホーツクタワーや流氷科学センター等、孫たちと三時頃まで楽しんだ。
帰路、同じ道はつまらないと助手席の小五の男の子の提案で興部から二三九号線を走ることになった。孫は道の駅をカメラに納めて数をふやしていた。車中では退屈そうな小二の女の子と対照的に、私は久しぶりのドライブそのものが楽しくてしょうがない。
下川、名寄、風連、士別、剣淵と、それらの町の名は長年耳に馴染んできたのに、方向や距離の認識もないまま今日まできてしまった。これこそ北海道だと感慨も新たに、窓外を見ながら和寒も過ぎようとしていた。
運転する婿に話しかけた。「三浦綾子さんの塩狩峠の舞台になった所は方向違いかしら」と尋ねた。何度も往来して地理に明るい婿は「丁度この先ですよ」と言う。
国道から人気のない細い道に入っていった。間もなく静寂な木立の中に古ぼけた木造駅舎を見たとき、長く脳裏の片隅に偶像化していたものが、突然現れたような戸惑いと感動にしばし立ちつくした。
真夏というのにコンクリート敷きの待合室はひんやりとしていて、気がつくと中二の女の子が使い込まれたノートを熱心に見ている。それは全国のファンがやっと訪ねてきた感激を何冊かのノートに書き込んだもので台湾からのものもあった。
小説はあまり読んだ事がなかったという孫に、帰宅後私は「塩狩峠」「泥流地帯」を手渡した。後日娘からは、孫がすっかり本の擒になったのよと知らせてきた。 |