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かなえ
希恵に一本とられた しょっちゅうだったけど |
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むかし兄ちゃんにも言ったことがあるんだけど、 何ための学校へいって、なぜ勉強なんかするのかっていう話。 「自由とは法則の認識である」とかそんな意味のことを言ったのはマルクスだったかどうか憶えてないけど、とにかく真理だと思うんだ。 人間が他の動物と決定的にちがうことは「自由」であることだ。自由こそ、人が人である証しなんだ。 悪い意味では、自らもその一部である自然を破壊する自由すら手にしている。という深入りはしないけど。 洗濯物を乾かそうとして、雨の日に屋外の物干しに引っかけたって、それは濡れちゃうだけだよな。 ということを学べば、晴れの日を待てばいいということに気がつくだろう。 さらに屋根の下に干すとか、乾燥機を発明するとか考えをめぐらすことで、人間は洗濯物を乾かす自由を手に入れることができるわけだ。 自然や社会の法則を無視しては、本当には自由にはなれない。 雨の屋外での洗濯と同じことだけど、たとえばオオカミの群れの中に丸腰で入っていっても、そこには餌食にされる自由くらいしかないだろう。 わがままと自由とは全くちがうんだ。 そこにこそ勉強することの意味があるんだ。 みんなが自由に生きるために、人間が人間になるために勉強はするんだ。 って、20数年前、 人は何のために勉強するのかっていう疑問に、父ちゃんは、そんな答を見つけたのさ。 じゃあどのくらい勉強すればいいのかって話を母ちゃんとしたことがあるんだけど、最低でも国の予算書が読める程度には、っていうんだな。 だって、自分たちが払った税金の使い道を決めてるんだから、それくらい自分で理解できなきゃしょうがないだろう。 そうなると広いし深いぞぉ。福祉のこともあるし、宇宙開発の予算もあるし、原子力についてだって知ってなくちゃ口出しできないし・・・最低限でも、勉強にキリはないってことだ。ははは とにかく、 人は自由になるために勉強するってことさ。 と、 かっこよくまとめたつもりで長々と話しかけたときの、 次女の一言には感動したっけなぁ。 あっさりと、 「何かのために勉強するっていったら、もうそれは自由じゃなくなってんるじゃないの。私は、勉強が好きだから自由に勉強をするんだよ」 まいった。 |
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